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IF by SEKIGAHARA!
2006/12/20(Wed)
 来年二月、仕事辞めたら大阪近辺にでっかい旅行に出かけよう! と思っている私。どこに行こうかと地図とにらめっこしてたら。
「………ここらって近江・伊賀のあたりだよな……みつなりん……浅井…」
 とか思いだした私。
「滋賀に行きたい!」

 かなり不純です(何)

 でも普通に琵琶湖! とか。
 石田三成!(の過ぎたるものが二つある~(略))
 小田山城!(どれもあんまりかわんねぇよ)

 とか色々考えて。
(っていっても「佐和山ってどこ」とか思ってて、それで脱線したのも否定できない(何))

「石田三成って結局、実際どんな人物だったんよ」

 という疑問が不意に浮かぶ。

 で。

 ネットで色々調べてみた(何)

(続く)


 ってことで。

 私の戦国無双2で出会う前の三成のイメージといえば。

 家康にたてついて天下を狙い、戦乱を起こした悪人。
 ……ってイメージでした(汗汗)

 当時も友人に苦笑を浮かべられるほど評価というか、物事悪い方向にしか見られないといけませんね……。
 まぁ、そもそも義務教育で教えられる程度の知識でイメージを固めるっていうのもあれなんですが。
(今の私も毛が生えたくらいだけど(苦笑))

 でも、色々エピソードとか見てたら、アレ、ちょっと違うよおにいさん。って感じに(何)

※ブログ書いてる時点ではソラで書いてます。先日見た内容で覚えているものを述べてます。間違い等々あるかもね。指摘は遠慮せずどうぞ。

昨日見たのは結構三成寄りの話が多かったのですが。
 関が原は天下分け目の決戦。1600年、家康を総大将とした東軍と、石田三成を中心とした(総大将は毛利。これも裏切りで大阪城から動かず援軍にこなかった)西軍の対決で有名。そして三成は裏切りで負けるの……は、まぁ私授業ではスルーされたけど、有名みたいです(ぁ
 んでもってそもそも、当時天下を治めていたのは豊臣家。秀吉の遺訓を破って色々してたのは家康で、天下を狙い始めたのはもしかしたら家康が先……つーか、ずっと狙ってただろ(ぁ
 ……いや、ともかく。たしかに豊臣家の二代目、秀頼は子供だったし足りなかったかもしれないですけど。家康は結局、自分の子の三番目の秀忠を“平凡な人格を見込んで”二代目将軍にしたわけで。その理由が“主君を家臣が支える”形をよしとしたから。で。
 だったら秀頼でもいいじゃん。
 って思った。
 だから結局は、なんだかんだ言ってるけど、家康が天下を取りたいっていうのも原因にあったんだから三成のことを悪く言うのは筋違い……ということに気が付いて反省(汗)
 石田三成さん、ごめんなさい(平謝り)

 まぁ確かに。
 三成の性格はどこに行ってもどこで見ても、「家康嫌い」と「人の顔色見ずにずげずげいっちゃう」みたいな感じにかかれてて。
 そんな性格もあり、武断派とかには嫌われてたみたいです。関が原では三成隊に殺到したとかなんとか。実質総大将ってのもあったんでしょうが、憎し、もあるんじゃない? って。どっかで言われてましたね(苦笑) 秀吉に可愛がられてたのもあれなんじゃないかなぁ……とは思いますが。(秀吉は本当あれですよね、来るもの拒まず。誰でも好きになっちゃうって感じ。だから好かれるんでしょうな)
 まぁ、褒められた性格では……なかったのかもしれません。
 しかしながらかの有名な(笑)佐竹氏が言った言葉。「三成殿が死んでは世の中が面白くなくなる」。これはすごいですよ。人にここまで言わせるのはすごいですよ、ね。彼は三成に酷く恩を受けたことがあることもあるらしいのですが……。

 ここまで評価が両極端な人もすごいと思う……。

 そして関が原では裏切りが続出しましたね。密約してた毛利勢(吉川氏が押さえ込んでたらしい)は動かず、小早川は裏切り。大谷隊の中の坂部氏とか……名前忘れたけど、は、小早川の裏切りに乗ったようなもんだし。(だから別に賞賛されたりはしなかったみたいですよね)
 戦国の掟というか慣わしというか(違) 戦国の膿がでまくったような戦いみたいな気が、しないでもないです。

 しかしながらここで、三成隊からは裏切りの人物がまったく出なかったそうです。
 三成隊といえば……三成が自分に足りないものを補いたいとかそういう理由だかなんだか言われてた気がしますが……武勇に優れた人たちが多かったんじゃなかったっけ。
 島左近とか舞兵庫とか。渡辺氏とか。蒲生氏とか。
 色々。
 家臣団みたら結構一杯いましたね……びっくり(何)

 最初に貰った500石全部を俸禄にして一人。
 四万石に加増されたときに半分を左近に。

 二人とも、三成が19万石に加増されても、最初に言われた俸禄だけうけとってたらしいですから、なんか……スゴイですね。
 
 武士は己を知るもののために戦う、といいますが。おそらく彼らにとって三成がそうだったんだな、と思うと……悪くいわれがちな三成の、本当の性格ってどんなものだったんだろうというか。
 性格というより人となりを知りたくなりました。

 不思議な人ですよね。

 両極端な評価といい。いわゆる義を貫いた最後といい。死に際しても怖じなかったというなら、石田三成という人物こそ、私の描く武士そのものなんじゃないかと思いました。いわゆる、武直というか。
 武士としての才能はなかったといわれる彼ですが、(一説にはあるという話もありまふ。)誰よりも武士らしく戦ったのではないでしょうか……と。

 ただし。武士らしければ強い、勝利するということとは別の話であることが、実に皮肉っぽい話ではあるのですが。

 そうそう、戦国無双2は、ただのゲームと思いなされるな、と歴史初心者は言います。 
 小説「関が原」がベースになってるようなところもあるような気がしないでもないですが、結構史実に忠実な流れのぶぶんもあるみたいですよ。まぁ、江戸城攻略とかあるのはゲームですから(苦笑)


 さて。
 タイトルは「IF by SEKIGAHARA!」ですが。

 最後に、「もしも、関が原」という話なんですが。

 関が原で負けた後、家康に悪口を流されたという三成。まぁ…これも一説だと思いますが。まるで三成のこと恐れてたみたいでちょっと笑ったけど(ぇ 
 勝てば正義、負ければ悪。なれば。
 もしも三成が勝利していたのなら、たぶん、家康の風評はすんごいことになりそうですよね、って思って楽しかった(笑)
 不義(不忠)の輩、ってとりあえず看板もたされそうな。
 その後はきっと秀頼が関白の位をついで……みたいな感じなんでしょうね。この時は流石に朝鮮出兵はしないでしょう。

 まぁ、もしも。

 もしも黒田官兵衛が九州統一にくりだしていなかったら、立花氏は駆けつけてくれたでしょうか。(黒田官兵衛、天下を狙っていた、という話がありますよね。黒田家は結果的に家康の天下獲りをかなり助けてしまったのでありますが)
 もしも佐竹氏が西軍に付けていたら?(まぁ、伊達家がここらへんは抑えてるような気もしないでもない)
 もしも三成が島津氏の言を承諾していたら……(まぁ、一刀両断するのってなんとなく三成らしい気がしています。なんとなく)

 ま、そんな「もしも」。
 小さいころからよく「もしも……だったら……」と言って「子供っぽい」と笑われ続けてきたのですが。

 考えるだけならタダですよ。
 たしかに悲しくなるだけかもしれませんが、事実だけを一辺倒に見続けるのは辛いし、ちょっと物足りない気がします。


 もっと多くの可能性を。
 もっと多くの真実を。


「もしも」戦国時代にいけることがあったのなら、関が原の敗者のヴェールが懸かった三成ではなく、本当の三成が見て見たい。関が原の勝者として、太平の世を築いたと英雄扱いのヴェールが懸かった家康ではなく、本当の家康というものが見て見たい。
 何故多くの人が彼を嫌ったのか。
 何故多くの人が彼のために命がけで戦ったのか。
 現代の人間である自分にんは分かりかねることが多いかもしれません。
 ……けれど、これが昔私が歴史を学びたいと思った理由で、歴史を研究したいと思った理由でもあります。歴史の道はもう、ほとんど諦めたのですが。

 何のヴェールもない、ありのままの姿が知りたい。

 ありのままの歴史が知りたい。
 自分の感性でもって直接に触れてみたい。

 ……と。
 多少ずれたかも。多少つーか、結構ずれたかも。

 ともかく。

 もしも関が原。副題、「石田三成が気になるんですけど!」でした。

 多少書き足りない(ぇ
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