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今日読んだ本。2
2006/06/21(Wed)
僕が右翼になった理由(わけ)、私が左翼になったワケ 僕が右翼になった理由(わけ)、私が左翼になったワケ
鈴木 邦男、和多田 進 他 (1997/03)
晩聲社
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 今日読んだ本。から続きます。
 哲学でもなんでもない考え事主軸。
 まだ半分しか読んでいないのでほとんどを疑問で残します。
 半分だけ読んだ私の感想です。

 その当時、右翼、左翼と呼ばれていた政治活動をしていた多くの人は、何かしらの政治に対する思いがあって活動していた人ばかりではない……んですかね。
 何より集団に居たかったことが始まりだったんでしょうか。集団の中にあると、集団の考えが自分の考えのように思えてくる。それが右翼、左翼となって。対立する――対比される存在があるから、特色を強めていく。特色がなければならないように感じられてくる。右翼に存在するからこそ自分は右翼だから、左翼だから、と。行動が縛られてしまっていたんだなと。
 集団、とは何でしょう。

 あつまらなければならないのは、何故でしょう。

 集まると自分の意見がなくなっていく。意見を言うことが怖くなるのは、集団の意識と別の意見を言えば言うほど、集団から離れなければなくなるからではないんでしょうか。同じことばかり、言えるはずがないのに。
 数が多ければ多いほど、消される意見の数が増える。それが多数決。であるとするなら、民主主義とは、本当になんなのでしょう。お二方も言っていましたけれど、民主主義が至上主義、というのが、おかしいとおもうんです。
 必要とされていなかった民主主義は必要ない。押し付けられた民主主義を掲げられても、もともと与えられた政治になんら不満を抱いていなかったとすると民衆は、いきなり別の意見を求められたわけです。いきなり政治のことを考えろといわれるわけです。

 私は、祖父が政治家……ですね、地方の政治家だったので、選挙の近くになると父の兄弟とかおばさんとか集まって結構論争が起こってたりしまして。といっても小さかったのでよく覚えていないのですが。選挙とかには少し興味はありましたね、TVでずっと流していたから。たぶんそこからなんとなく、考えるようにはなりました。そのころから自民党のことがあまり好きではありませんでしたけれど。実家は自民党より。田舎は自民党に染まっているし、地元出身の国会議員の重鎮がいたので仕方がないんです。だから反発を覚えたんでしょうね。
 当時は民主主義=多数決=正義。
 くらいに思ってましたね。でも本を読んでて納得。
 民主主義=多数決 じゃないはずですよね。と。
 もともとは民衆のために作られた政治のはず。民衆が政治をするため、少数が多数を支配していた時代を終わらせるため? ……よくは分かりませんが、そう理解してたつもりですが。フランス革命が発端で……と、今度理由詳しく調べてみます(課題発見)(国王ルイの悪政、王妃の浪費。教科書でこれくらいですけど、これに対して民衆がどう思ってどういう切欠で革命を起こしたのかが知りたいです。当時民衆はどういう政治を期待して革命を起こしたのかと。自分たちで政治を運べば全て上手くいくと信じていたんでしょうか……どうなんだろう)
「数で転んだものは数で転ぶ。それを防ぐには数を積み続けなければならない」という、某みつなりん(戦国無双2)の台詞がありました。
 右翼、左翼の活動はまさにそれが理由にある活動が結構あったみたいです。
 思う切欠は色々なれど、結局のところ、自分が所属した、自分が同意した意思のために活動する。そんな風に思えてしまいました。

 でも、そう。
 集団は個人が作り上げるのであって、集団が個人を作るのではない。集団は個人のためにあるのであって、個人が集団のためにあるわけではない。個人が集団になるのである。
 まったくその通りだと思います。
 国は民衆のためにあるべきです。

 疑問ばかりが思い浮かべられる。理想を追い続けることなど、ただ疲れるだけなんだとしても。
 国とは何故必要だったのか。
 そもそも何故集団となっているのに、様々に別れ続けなければならないのか。(まさに人の細胞ですよね)
 国のあるべきすがたとは。

 そもそも現場を知らない人間が、実際に肌で感じない人間が、理論だけで理屈だけで、規則とか秩序とか利益とか権利とか義務とかで、現場にいる人たちの生活を左右してもよいものなんですか?
 よいものだったんですか?
 第二次世界大戦後の戦後対策がもっともだと思います。民族性を考えずにただ『民主主義はいいよー』を押し付けただろう、と思ってます。というか、家族に怒られそうなことなので言わないできたんですけど、結構思っている人がいるみたい。負けて、日本はアメリカの領土になりましたよね。それは、戦時中、日本が他国に対して……それも占領した国々に対して行っていたことと同じじゃないか。
 結局、それが正義だと叫ばれているけれど。日本は悪だと叫ばれていたけれど。
 結局、正義も悪もなかったのだと。
 世界が叫ぶ正義とはなんだ。
 文中にもあった、平和とはと、やはり思うらしい。
 そもそも悪とは。

 集団のために切り捨てられる少数の行き場所とは。
 多数ならば正しいのか。
 少なければ間違っているのか。


 事実ばかりが流布される中で、本質を流すテレビは偉いと思う。自由を存分に行使してくれ。
「こうなると……法律おかしいよね」と、私が見るとき必ず言ってくれてる某アナウンサーの方はとても好きだ。「でもそれが法律ですから」と突っ込んじゃうのはおかしいよ、と。思ってみる。


 ……話がずれた。
 いいやこのままずれちゃえ。(マテ


 私は私の国の理想の形を知りたい。
 今の国に不満があるなら、理想の形はどんなのか。分からなければただの文句だ。
 だから私は国の理想の形が知りたい。
「だから世界をどうしたい」ではなく、自分が本当に求めている世界とはどんな世界なんだろうと思う。小説を書いていて気が付く、本当に生きたい世界とは。
 それを追い求めながら、私は小説を書いているのだと。

 私は世間のことに疎くて本を読んでいて知ったのですが、私の生まれる前年、になりますね。亡くなられた谷口さん。「生長の家」の元総裁の方…なんですけど。の話を一度聞いてみたいというか、著書探してみようかなとか、思ってます。興味深いです。
 宗教団体に入ろうとは……思いませんけど。

 もう半分。

 なんとなく今の状態でいちゃもんつけているような口調になるけど。
 私は、人が一枚の葉っぱなんだとしたら、地球はそのまま土。木は国ですね。国は葉っぱが一枚落ちても関係ないけど、全部落ちたらかれるだけですもん。でも地球は国が倒れてもいたくもかゆくもないですからね。

 とか。言ってみる。


 あぁあー……義に生きて行きたいなぁとか……えへっ(w^;
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