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「夏草の賦」
2006/08/28(Mon)
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 私は「同情」という言葉が好きじゃない。
「かわいそう」って言葉は簡単に口に上すことができるけれど、結局それだけだ。一緒になって悲しんでいたって、何があるわけじゃない。なんになるわけでもない。
 だから「同情」が嫌い。ついついしてしまう自分も、されるときに見る相手の顔も嫌い。
 同情されたって嬉しくもない。分かるなら、と思う。愚痴を零してしまうようなことの遠因を作っているような人々に、そんな言葉を言ってほしかったんじゃない、そんな嘲るような顔で見られたかったんじゃない。よく、そんな顔ができたものだと思った。そして、そんな顔をよくされたものだと、思う。だからかもしれない。
(実は私、たまーにですけれど、原因を作った人たちに対して、わざと愚痴る陰険なことをするときがあります(爆) 気が付いていても何もいわないのかもしれませんけれど、私が原因に気が付いていないと思ったら……と思います。なんかバカにされ続けて生きているような気分には、なりますよね。で、思わぬところから謝罪がきたりします(汗) で、本当はその人は悪くないのにってのが多々。ちゃんとしてていい人はソンをするのですよねー……)


 ……と、卑屈な言葉を吐きましたけれど。

 先日からちまちま読んでました夏草の賦。――「ぞく」じゃないんですね。私のPCだと「ふ」でしか出てきませんけれど。――本日、読みきりましたであります。実は昨日上の後半まで読んでて、それから「読みたい」念が強くなって、今さっきまでいっきに読破してきました。
 冒頭で「同情」について言いましたけれど、私下巻を呼んでいる最中に激しく揺さぶられまして。これが本当は同情なのかもしれないとも、思いました。かという、それは長曾我部元親の心情に、激しく同意してしまったからでありまして。

 上巻、下巻、揃ってご紹介、という形にさせていただきましたのは、私が感想苦手だからです(ぁ
 上巻だけで感想かけっていわれたら、下巻と上巻、どことなく一緒いなることは眼に見えております。私としましては、夏草の賦、という小説一つ読んだ後の感想を言いたいわけで……(読書感想文書くときとか、よく言われますよね。「どこどこの、何々がよくて、どんなふうに感動したか書きなさい」って。難しいこといわないでください(汗) 具体的なことかけるならこんな感想ベタはできあがりません。)
 
 そもかく。
 先日書いたとおり、序盤は、長曾我部元親の正妻、菜々の視点で元親を見ています。この視点で見た元親の姿は本当に「不思議な人」「分からない人」でしたね。この若い(当時25歳)元親は、結構大人しいよな気もしないでもないです。土佐を、手に入れて、四国を切り取る場面までくると、結構苛烈になってきているような気がします。
 この人。権謀とかそういう、「戦う前の準備」に怠りがなく、戦う前に勝っちゃってるような人でした。そして自分でも「戦上手」みたいな自負があって、英雄の一人である、という自覚もあったみたいで。
 でもその反面、汚い策を使うたびに思い悩んでしまう、よくいえば「いい人」でしたね。四国一帯に戦乱を巻き起こした人物とは思えないくらい。
 でも四国を平定するのが夢で、天命だとも思ってたみたいです。
 長曾我部の家は、元々土豪の一つだったらしいです。その土豪の一つが、大きな後ろ盾もなく四国を切り取るところまでいったんですからすごい。元親の戦における強さですね。

 最後に筆者も書かれていましたけれど、「情熱」を主題にしていたそうです。たしかに、そうだと思います。言われてすごく納得できます。

 元親は菜々に「よい血を入れたかった」と、嫁に迎えたわけをいうのですが、これを思い出していると後半になって跡継ぎを変えたときになんとなく愕然とする思いになります。
 元親の長男である信親は、とっても良い子に育つんですよー。父である元親も納得の、です。後半になると父と子のシーンが増えるのですが……。

 まぁ、元親は信親をどこか「もうちょっと」って感じでしたけれど(笑)
 四国切り取り、結局元親はできずじまいに終わってしまいます。二人の天下人の横槍のせいですね。
 一人目は信長。獲った場所を元の持ち主に返して土佐に帰れ、って脅迫されるわけで。この時の元親の腹立たしさは、それでも潔い。「ここで諦めては、前半生が無駄になる」それに、自分の心だけでなく家臣たちのことも考えてて……。
 確かに。
 この場面は上巻の後半になるわけですけれど、ここまで書かれていた中で、元親は土佐平定、ひいては四国平定、いつかは天下、と夢を追い続け、そのために闘い続け、たくさんの死傷者を出していました。
 おもいかえれば、今更土佐に戻るわけにもいかないんでしょう。

 結局、信長は本能寺で討たれ、信長の四国侵略は終わってしまうのですが。
 次は次の天下人、秀吉に同じことを告げられる。

 そして徹底抗戦をいどめば、傍目にも明らかな軍事力の差。
 結局、土佐にひっこみ秀吉に仕えることになってしまうわけで。

 ここまではまだよかったんでしょう。まだ元親は他に言われるほど落ちぶれていないどころか、英雄の一人のままだったんじゃないかと。
 でも、九州征伐の最中に長男の信親が死んでしまってからは……です。それも意にない屈辱の連続で、元親にとって――四国の覇者であった長曾我部元親にとって我慢の限界であったのかもしれません。
 長曾我部の家がいつかは、と元親は思っていたのかもしれません、と思います。秀吉が落ちた後勇躍するべくしてするのは自分だと…思うのですけれど。
 元親が死んでも信親がいれば! と世に知られた信親が死んで、長曾我部に未来はない、と思ったんじゃないかと、思いました。

 そして、自分に天命は絶対に回ってこないのだと、痛感してしまったのかもしれません。

 だからこそ、菜々の血を引く四男の盛親に家督を継がせたのかもしれないと、思いました。少しでも、少しでも、と。

 ……夢を理由に生きてきたわけですよ。私も。最近ふとして思い、様々なことをしてみよう、回り道してみようと、思っていますけれど。新しい何かが見えるんじゃないかと、新しい生きる道が見えるんじゃないかと思っていますけれど。
 私も、夢を捨てたら、私の短い期間の過去ですけれど、それを捨ててしまうのと同じなんですよね。そのために、その理由で生きてきたわけで……そう、思うとせつなくてやるせない。私の場合まだいいですよね、諦めたわけじゃないですから。

 そう、だから同意して、痛いほどに思う。
 私はこの両手が失われたらそのまま死んでしまいたい、と思っています。創作することが全てで、思い描くだけでなく作り出すことが何より好きです。そのために諸処何があってもがんばんなきゃな、と思うことができたわけで。
 四国を切り取るために動けないなら、いっそ美しく死んでやろう。そういった元親に。晩年、そのために得た力を発揮できずに、発揮できなかったがために死なせてしまった信親への思いに。覇業のために死なせてしまった人々に報いることの出来なかった元親の思いに。
 そして、達成できなかった、不完全燃焼のままに消えていった、けさぜるを得なかった「情熱」に。

「かわいそう」では、ない。
 言い表せない――おそらく、「同情」に似た、何らかの念に酷く駆られるのです。
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